当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます。

最近、このブログに動画を上げる為のYouTubeチャンネルを開設。
試しに弊社塗装スタジオを紹介するショートムービーを作ってみました。
今時はスマホで簡単に動画が作れちゃうんですね。
今更ながらですが、凄い時代になりました

塗装スタジオの屋上からの眺めはこのような感じであります。
都心のビル群や東京スカイツリーがすぐそこに見えます。
都会の住宅地のど真ん中にある塗装工場です。
こんなところに塗装工場があるだなんて・・・もちろん現在では諸事情により新しく工場など建てることは出来ません。
塗装部スタッフの間では“奇跡の工場”と呼ばれています(笑)

そう・・・
むかーしむかし、そのまた昔、この辺りは職人の街として栄えた時代がありました。
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写真は昭和初期頃の江東区木場周辺の風景。
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それは昭和の時代までの話。
時を越え、令和の時代を迎えた今では、その面影を微かに残すのみとなりましたが。

弊社が所在する深川・木場エリアの歴史をさらに遡ると・・・
寛永年間(1624~44年)頃には日本橋や神田の材木問屋が独自に木材置き場を持っていたようですが、明歴の大火(1657年)が甚大であったことで、江戸幕府は火事の原因となる材木河岸を隅田川の対岸にある深川に移転させるように材木商たちに命令を下したのでありました。
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その後、紆余曲折を経て、元禄14(1701)年に15名の材木問屋が協力して現在の木場周辺の土地を整備しました。30万平方メートルもの土地を買い上げて、木材運搬の為の土手やお堀(水路)を作り、材木商にとっては理想郷と言える町を作り上げたのです。
以後、江戸で使われる材木のほぼ全てを木場の材木問屋の組合が管理したために、巨万の富を得る材木商が現れました。
火事の多い江戸では昔から材木の需要が多く、商いの中でも活気があった業界だったそうです。

当然、それに伴って木材を加工したりする職人たちも深川界隈へ集まってきますよね。

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前回のブログでちょこっとご紹介した“清澄庭園”は、その豪商たちの筆頭であり、幕府の御用商人であった”紀伊国屋文左衛門”の広大なお屋敷跡と言われています。

こうした豪商たちが途方もない金額をつぎ込んで深川の料亭で接待を行ったために、花柳界は瞬く間に繁盛して、辰巳風(たつみぶり)と呼ばれる独特の文化が発展していったようです。
辰巳風・・・深川の旦那衆や木場で働く男たちは気風(きっぷ)の良さが重んじられ、自然と色町の方もその風に染まり、女たちも侠気(おとこぎ)を誇るようになったと言います。
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また、木場の川並(かわなみ)、筏師(いかだし)の水面に浮かぶ木材を運搬する時の掛け声が“木遣り歌”となり、木材を筏に結び付ける仕事が発展して“角乗(かくのり)”という曲芸も生まれました。

そんなこんなで、木場の商人や職人たちが、今も語り継がれる深川文化の担い手となっていったんですねー。
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写真は富岡八幡宮例大祭の様子です。
水掛け祭りとも呼ばれ、この辺りで3年に一度、8月15日前後に行われます。
当時の活気のある雰囲気を感じられる勇壮なお祭り。
https://www.city.koto.lg.jp/skoto/tradition/reitaisai.html
ちょうど今年2020年はその年でありましたが、やはりこのコロナの影響で中止となったようで、来年の夏に延期になったそうです。

私は地元の人間ではないのですが、深川はそんな“粋”な雰囲気を感じられる不思議な町だと思うのであります。
時空を超えて今もなお。

今回は深川の歴史についてサラッとご紹介させて頂きました。

そうそう、YouTube動画の話。
塗装スタジオの中を撮影して、動画で工場見学をして頂くというアイデアもあったりして。
まだまだ下手くそではありますが、これから少しづつ動画も作ってみようかと思っております。

最後までお読み頂きありがとうごさいました。
では、次回をお楽しみに


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