当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます。

先日、東京オペラシティ内のアートギャラリーで開催中の展覧会「高田賢三 夢をかける」を観に行ってきました。
今回のブログはその会場の様子をご紹介したいと思います。

ちなみに東京オペラシティは西新宿(初台)にあり、新国立劇場をはじめ、各種コンサートホール、アートギャラリー、飲食店などが一体となった複合文化施設です。
施設内の劇場やコンサートホールでは、主にオペラやミュージカル、クラシックなどが公演されており、ハイクラスな雰囲気を感じることが出来ます。
たまにはオペラやミュージカルも観に来たいなと思いつつ・・・私にはなかなか敷居が高くて(笑)
アートギャラリーで気になる展覧会がある時などは足を運びます。

●「高田賢三 夢をかける」展
https://www.operacity.jp/ag/exh276/
2024年7月6日(土)~9月16日(月・祝)
@東京オペラシティ アートギャラリー

画像引用:CNN Style
2020年に惜しまれつつ逝去した世界的ファッションデザイナー高田賢三氏(享年81)の没後初の大規模な個展です。

画像引用:TOKYO ART BEAT 高田賢三 1970年
正直、ファッションの世界にはあまり興味は無かったのですが・・・
たまたま電車の中で見かけた本展の吊り広告に載っていた、このキャッチーな写真
にまんまとやられたわけです
アパレルブランド「KENZO」の名前だけは知ってはいましたが、その創設者である高田賢三氏についても知りたくなりました。

会場では高田氏のファッションの変遷を衣装展示でたどります。

また、幼少期から描いていた絵画やアイデアの源泉となった資料、衣装のデザイン画なども紹介し、多角的な視点で人物像を浮かび上がらせ、日本人デザイナーのパイオニアとして世界で活躍した高田氏の創作活動を回顧します。

高田賢三氏は、日本人ファッションデザイナーとしていち早くパリに進出。
1965年にパリに渡り、以降はパリを拠点にして活動を続けました。
ヨーロッパの伝統的なファッションを目にする中で、日本人としての表現方法を模索する高田氏は、ついに1970年に自身のブランドをスタートさせます。

しぼりやちぢみ、つむぎや浴衣地などの日本独自の生地を使った服は、1970年のデビュー当時から話題なったそうだ。

こちらは「ペザントルック」呼ばれるスタイル。
ペザントは「農民」を意味する言葉で、日本の農村をイメージしたスタイルとして発表された。
これも面白いですね。

こんな大胆な色使いの服も。
アヴァンギャルドな雰囲気の中にも、“可愛らしさ”や“優しさ”を感じられるのは、そのお人柄が滲み出ているのであろうと思う。
この様なのびやかで開放的な装いは、新しい時代の服として受け入れられ、1970年代を代表するファッションデザイナーとして、瞬く間に世界の注目を集めるようになっていったそうだ。

先に進むと1980年代の作品が並ぶ。独特の色使いや柄の組み合わせが楽しい。
高田氏が「色彩の魔術師」と称されるのも納得だ。
1980年代を代表する「フォークロア」というスタイル。
フォークロアとは、民族や民間伝承を示す言葉で、ファッションにおいては主に民族衣装にイメージを求めたスタイルのこと。
日本の衣服にとどまらず、四角い平面と無駄なく布地を使うことの出来る“直線裁ち”が多くの民族衣装の共通項であるらしい。
各地の民族衣装に関心を持っていた高田氏は、それを作品に取り入れたそうです。
各国の民族衣装からインスピレーションを受け、“立体裁断”と“平面裁断”を融合させた作品は、衣服を通じてボーダレス、ジェンダーレスの思想を体現したものでした。

同時代に活躍していた三宅一生氏とのコラボレーション。
学生時代(文化服装学院デザイン科)の同級生にはコシノジュンコ氏。
たぶん、山本寛斎氏も同時期に活躍したファッションデザイナーだと思う。
誰もが知っているビックネームが名を連ねる凄い時代でしたよね。
調べてみたら、山本寛斎氏も高田賢三氏と同年の2020年に76歳で逝去されたようです。

1990年には自身の美意識を反映させた、茶室や日本庭園を備えた数寄屋造りの豪華な自邸をパリのバスティーユに建築。
以降は宝塚歌劇団や宮本亜門氏の舞台衣装のプロデュースなど、さらなる挑戦を続けた高田氏。
晩年は絵画制作や、家具や陶芸品、絨毯、オブジェ、リネン、テキスタイルなどを展開するライフスタイルブランド「K三(ケースリー)」を立ち上げるなど精力的に活動した。

宝塚歌劇団の舞台「宝石の女」の為に制作した衣装(1992年)。

アテネオリンピック(2004年)日本選手団公式ユニフォームのデザインも手掛けたそうだ。
YouTubeで「高田賢三追悼特集~色彩の魔術師~」というアーカイブを見つけたのでご紹介します。
才能はもとより、やはりそのバイタリティーたるや普通ではありませんね。
晩年もしっかりと自己管理されていたようで若々しい体型を維持していらっしゃるし、ハイブランドのスーツをさらっと着こなしているあたりがさすが

光が強ければ強いほど、その陰は色濃くなるもの。
順風満帆で華々しく見える高田氏の人生も、山あり谷ありだったようで。
そこはファッションの世界、時代が移り変われば流行も移り変わるものですから。
移ろいゆくファッションの世界で、生涯第一線でご活躍された高田賢三氏。
そんな選ばれし人間の、人生の機微も感じることが出来る面白い展覧会でした。

そう、せっかく行くのであれば、収蔵品展「寺田小太郎メモリアルギャラリー」も観ることをおすすめします。
こちらでは通称「寺田コレクション」と呼ばれる、厳選された質の高い現代アートを観ることが出来ます。

また「Project N」という新進気鋭のアーティストを紹介する展示もあります。
若手育成・支援を目的として展覧会シリーズです。
今回は田口薫さんの作品が紹介されていました。

迫力のある作品が並びます。
こちらは「描く/彫る絵画」とのこと。

ベニヤ板に描かれた絵の表面には痛々しい傷が。
彫刻刀で彫ったものや、サンドペーパーで擦ったような部分など。
絵画のようであり、版画のようであり。
田口さんはカトリック信徒だそうで、キリスト教の宗教画をモチーフとして、自らの解釈で再構成した作品が多かったです。
企画展と同時に収蔵品展も作品が入れ替わるので、来るたびに違った作品が観ることが出来て面白い。
本展(企画展)の入場料を払えば、こちらは無料で観られるのでぜひお立ち寄りを。
・
・
それでは今回はこの辺で。
最後までお読み頂きありがとうございました。
次回もお楽しみに
●ニシザキ工芸株式会社塗装部HP
https://tosou.nishizaki.co.jp/
●特注家具・ニシザキ工芸株式会社HP
https://www.nishizaki.co.jp/

先日、東京オペラシティ内のアートギャラリーで開催中の展覧会「高田賢三 夢をかける」を観に行ってきました。
今回のブログはその会場の様子をご紹介したいと思います。

ちなみに東京オペラシティは西新宿(初台)にあり、新国立劇場をはじめ、各種コンサートホール、アートギャラリー、飲食店などが一体となった複合文化施設です。
施設内の劇場やコンサートホールでは、主にオペラやミュージカル、クラシックなどが公演されており、ハイクラスな雰囲気を感じることが出来ます。
たまにはオペラやミュージカルも観に来たいなと思いつつ・・・私にはなかなか敷居が高くて(笑)
アートギャラリーで気になる展覧会がある時などは足を運びます。

●「高田賢三 夢をかける」展
https://www.operacity.jp/ag/exh276/
2024年7月6日(土)~9月16日(月・祝)
@東京オペラシティ アートギャラリー

画像引用:CNN Style
2020年に惜しまれつつ逝去した世界的ファッションデザイナー高田賢三氏(享年81)の没後初の大規模な個展です。

画像引用:TOKYO ART BEAT 高田賢三 1970年
正直、ファッションの世界にはあまり興味は無かったのですが・・・
たまたま電車の中で見かけた本展の吊り広告に載っていた、このキャッチーな写真


アパレルブランド「KENZO」の名前だけは知ってはいましたが、その創設者である高田賢三氏についても知りたくなりました。

会場では高田氏のファッションの変遷を衣装展示でたどります。

また、幼少期から描いていた絵画やアイデアの源泉となった資料、衣装のデザイン画なども紹介し、多角的な視点で人物像を浮かび上がらせ、日本人デザイナーのパイオニアとして世界で活躍した高田氏の創作活動を回顧します。

高田賢三氏は、日本人ファッションデザイナーとしていち早くパリに進出。
1965年にパリに渡り、以降はパリを拠点にして活動を続けました。
ヨーロッパの伝統的なファッションを目にする中で、日本人としての表現方法を模索する高田氏は、ついに1970年に自身のブランドをスタートさせます。

しぼりやちぢみ、つむぎや浴衣地などの日本独自の生地を使った服は、1970年のデビュー当時から話題なったそうだ。

こちらは「ペザントルック」呼ばれるスタイル。
ペザントは「農民」を意味する言葉で、日本の農村をイメージしたスタイルとして発表された。
これも面白いですね。

こんな大胆な色使いの服も。
アヴァンギャルドな雰囲気の中にも、“可愛らしさ”や“優しさ”を感じられるのは、そのお人柄が滲み出ているのであろうと思う。
この様なのびやかで開放的な装いは、新しい時代の服として受け入れられ、1970年代を代表するファッションデザイナーとして、瞬く間に世界の注目を集めるようになっていったそうだ。

先に進むと1980年代の作品が並ぶ。独特の色使いや柄の組み合わせが楽しい。
高田氏が「色彩の魔術師」と称されるのも納得だ。

1980年代を代表する「フォークロア」というスタイル。
フォークロアとは、民族や民間伝承を示す言葉で、ファッションにおいては主に民族衣装にイメージを求めたスタイルのこと。
日本の衣服にとどまらず、四角い平面と無駄なく布地を使うことの出来る“直線裁ち”が多くの民族衣装の共通項であるらしい。
各地の民族衣装に関心を持っていた高田氏は、それを作品に取り入れたそうです。
各国の民族衣装からインスピレーションを受け、“立体裁断”と“平面裁断”を融合させた作品は、衣服を通じてボーダレス、ジェンダーレスの思想を体現したものでした。

同時代に活躍していた三宅一生氏とのコラボレーション。
学生時代(文化服装学院デザイン科)の同級生にはコシノジュンコ氏。
たぶん、山本寛斎氏も同時期に活躍したファッションデザイナーだと思う。
誰もが知っているビックネームが名を連ねる凄い時代でしたよね。
調べてみたら、山本寛斎氏も高田賢三氏と同年の2020年に76歳で逝去されたようです。

1990年には自身の美意識を反映させた、茶室や日本庭園を備えた数寄屋造りの豪華な自邸をパリのバスティーユに建築。
以降は宝塚歌劇団や宮本亜門氏の舞台衣装のプロデュースなど、さらなる挑戦を続けた高田氏。
晩年は絵画制作や、家具や陶芸品、絨毯、オブジェ、リネン、テキスタイルなどを展開するライフスタイルブランド「K三(ケースリー)」を立ち上げるなど精力的に活動した。

宝塚歌劇団の舞台「宝石の女」の為に制作した衣装(1992年)。

アテネオリンピック(2004年)日本選手団公式ユニフォームのデザインも手掛けたそうだ。
YouTubeで「高田賢三追悼特集~色彩の魔術師~」というアーカイブを見つけたのでご紹介します。
才能はもとより、やはりそのバイタリティーたるや普通ではありませんね。
晩年もしっかりと自己管理されていたようで若々しい体型を維持していらっしゃるし、ハイブランドのスーツをさらっと着こなしているあたりがさすが


光が強ければ強いほど、その陰は色濃くなるもの。
順風満帆で華々しく見える高田氏の人生も、山あり谷ありだったようで。
そこはファッションの世界、時代が移り変われば流行も移り変わるものですから。
移ろいゆくファッションの世界で、生涯第一線でご活躍された高田賢三氏。
そんな選ばれし人間の、人生の機微も感じることが出来る面白い展覧会でした。

そう、せっかく行くのであれば、収蔵品展「寺田小太郎メモリアルギャラリー」も観ることをおすすめします。
こちらでは通称「寺田コレクション」と呼ばれる、厳選された質の高い現代アートを観ることが出来ます。

また「Project N」という新進気鋭のアーティストを紹介する展示もあります。
若手育成・支援を目的として展覧会シリーズです。
今回は田口薫さんの作品が紹介されていました。

迫力のある作品が並びます。
こちらは「描く/彫る絵画」とのこと。

ベニヤ板に描かれた絵の表面には痛々しい傷が。
彫刻刀で彫ったものや、サンドペーパーで擦ったような部分など。
絵画のようであり、版画のようであり。
田口さんはカトリック信徒だそうで、キリスト教の宗教画をモチーフとして、自らの解釈で再構成した作品が多かったです。
企画展と同時に収蔵品展も作品が入れ替わるので、来るたびに違った作品が観ることが出来て面白い。
本展(企画展)の入場料を払えば、こちらは無料で観られるのでぜひお立ち寄りを。
・
・
それでは今回はこの辺で。
最後までお読み頂きありがとうございました。
次回もお楽しみに

●ニシザキ工芸株式会社塗装部HP
https://tosou.nishizaki.co.jp/
●特注家具・ニシザキ工芸株式会社HP
https://www.nishizaki.co.jp/
コメント